会社方針
地元の三條市で永年にわたり鍛冶場を開き、伝統工具の製造を続けることで技術の継承に寄与していきます。また地域の発展にも微力ながら携わっていきます。
代表取締役社長メッセージ
<メッセージをこちらに記載>
人物写真などを配置
社名 | 株式会社古沢製作所 |
代表者 | 古澤 真弓 |
本社所在地 | 〒955-0057 新潟県三条市新光町18-7 TEL 0256-34-3669 FAX 0256-34-3324 |
資本金 | 1000万円 |
創業 | 大正元年 |
設立 | 株式取得 昭和50年12月8日 |
従業員数 | 7名(令和6年8月現在) |
取引銀行 | 第四北越銀行 三条信用金庫 はばたき信用組合 |
会社沿革
1912年 古澤市松が三条市横町に鍛冶場を開く
1950年 古澤幸一が二代目に就任
1970年 鍛冶場を現在の三条市新光町に鍛冶場を移転
1975年 株式会社へ移行
1986年 金型業務を開始
2005年 金型工場を増設
2009年 古澤幸朗が三代目に就任
2020年 化工場を増設
2023年 古澤真弓が四代目に就任
明治後期に古澤熊吉の子、古澤弥吉が農具などの鍛冶を始め、初代となる古澤市松を養子として迎え入れて大正元年に三條市横町の自宅一画に鍛冶場を構えて南部鉄瓶の弦の鍛冶を始めたそうです。(口伝の為、明治以降の正確な年代は不明)
大正初期に関西から喰切が伝わり、三條の鍛冶屋各所で製造が始まり、古澤市松も技法を習得し、古沢製作所の基礎としました。
二代目となる古澤幸一が長年に渡り喰切の製造に携わってきましたが、昭和40年頃に盆栽ブームが到来します。盆栽の造詣があった古澤幸一は喰切製造のノウハウを活かし盆栽工具の又枝切鋏等に着手製造し、職人を増員するまでに至りました。
手狭になったため、昭和45年に現在の三条市新光町に鍛冶場を移転しました。
移転後しばらくして、古澤幸一が喰切需要の減少に危惧を感じ、喰切製造や盆栽工具で培った技術で、ひょうたん爪切りを製造開始します。
そして昭和48年に、又枝切鋏からヒントを得た日本初のニッパ型の斜刃爪切を開発製造しました。いまだ売れ続けている超ロングラン製品です。
三代目となる古澤幸朗が、鍛冶屋としての手作りの限界を感じ、昭和57年に隣の燕市へ約5年間、星野プレス金型と小日向鍛造金型で修行をし、金型技術を習得します。昭和61年元旦に自宅車庫を改修し少数の工作機械を設置して金型業務を始めました。
古澤幸朗の技術により古澤製作所の製品すべてが手作りだったのを熱間型打ち鍛造に順次変更し、機械加工も導入して大量生産への技術を確立します。
平成17年に金型新工場を増築し、数多くの数値制御工作機械を駆使します。
近年には某自動車メーカーの専用工具製作のOEMを手がけるようになり金属加工のノウハウに特化した技術を保持するようになりました。
令和2年に金型工場隣に化工部門を増設し、ディッピング処理業務を開始しました。